そして、非常に繊細な問題に触れていきます。
ワクチンの話です。
ワクチンって何かと、知らない人はおそらくいないでしょう。
新型コロナを経験し、新型コロナに対抗する大きな武器の一つがワクチンだと政府が喧伝したと思いますので、ワクチンというものが、少なくともウイルスに対抗する手段の一つである程度は伝わっているかと思います。
ただ、この評価は様々かもしれません。
新型コロナワクチンを打った後、副反応として熱が出たという方もいらっしゃったかと思いますので、そのあたり、新型コロナの本物に会ったわけでもないのに、金を払って熱を出すのっておかしくない?と感じる人がいたとしても、不思議はないかと思います。
なので、ワクチンの評価を定める前に、まずワクチンっていつからするようになったのか、昔話をしましょう。
昔、西暦1750年ごろ、天然痘という病気がありました。この病気は、かかると致死率90%以上という、非常に危険なウイルスでした。
ただ、ジェンナーという田舎の開業医は、牛痘という別の感染症にかかると、天然痘にかからないという農民の言い伝えを聞きました。
このため、ジェンナーは1796年5月14日、ジェンナーの使用人の子である8歳の少年に牛痘を接種しました。その後、6週間後にその少年に天然痘を接種したものの、発症しなかったということを1798年、論文で発表し、その後、ワクチンは広がったと説明できます。
この物語を聞いて、素晴らしい美談だと、感じますでしょうか。
書き方にもよるかもしれませんが、私はこの話を聞いて、「医者って、気が触れているのではないか」と感じました。
この話に対する感想が、今でも残る、ワクチン対反ワクチンの抗争の元なのではないかと感じます。
まず、ツッコミ所として、「接種したの、自分じゃないのか!」ということですね。どこかのピロリ菌が胃潰瘍の原因だと特定したバリー・マーシャル先生はピロリ菌を自分で飲んで、ピロリ菌が胃潰瘍の原因だと特定しましたが(それでも大分、理解しがたい部分はありますが)、ジェンナーは自分の血縁者に対して接種したわけではありません。
このように非人道的なことが許されるのだろうかと、当時の人ならばなおさら感じたかと思いますし、このような抵抗感は現代の私たちからしても、理解できるものかもしれないと感じます。
ただ、抵抗感があるかということと、有効であるかということは、別物です。
牛痘を接種することは天然痘対策に有効だと、人類は武器を得ました。
その結果、天然痘は減り続け、1980年には天然痘の根絶が宣言されました。
これまでのコラムよりも少し長くなりましたが、何の話かといいますと、
「病気もしていないのに、弱い菌を打ってしまっていいんだろうか」ということです。
結論としては「いいんです」ということですね。
では、この続きは、次の「19-ワクチン、我々はどのようにウイルスと戦っていくか。」で
書ければと思います。